第1回 ゆるぎない幸福
 あれは10歳のころだろうか。母に余りもののセメントと砂利をもらい、庭の片隅に大小二つの穴を掘ったのは。
 あちこちから集めた石ころを敷き、水で練ったセメントをシャベルで塗りつけ、私の貴重な宝物だった沢山の貝殻を貼り付け、生涯初めて自作の池を制作したことを思い出す。傾斜地に作ったミニチュアの池が当時の私には夢馳せる「大池」に見えた。
 イングリッシュガーデンをガイドするガーデニング書は当時の日本にお目見えしてなかったが、間引き苗をもらい、花や野菜の種をまき、池の周辺の一坪足らずの空間は完全に私だけのガーデニング空間となった。
 しかし、池の水は入れても入れてもいつのまにか干上がるのだった。この子はひび割れを計算に入れてなかったのである。

■初代ネコと大雪
 「せ〜こちゃんはあの頃から変わってたよね。(ワルカッタナカワッテテ)家に初めて遊びに来たとき、籠に野草を摘んでリボンかけて持ってきたんだよ。土手歩いても眼に入んないくらいちっちゃな花に感激したりしてね。」と旧友のY子は回想する。そんなことあったかな、と本人のほうがびっくりした。
 子供の頃からバーネットの「秘密の花園」に憧れ、いつかは理想の庭を作りたいと願っている私だが、なかなかその道は遠い。
 しかし、春から冬までどのシーズンも植物としっかり付き合い、さらに年月をかけて植物を見つめつづけていくと、驚異的な植物の生命システムへの理解が深まっていくのを感じる。今日や明日のことではない月日と年月の要る関係、それがガーデニングの深い楽しみだろう。
 1月の庭は落葉樹がすっかり葉を落とし、洗い立ての赤子のようにこざっぱりと冬日に輝いている。花壇には種から育てたパンジーやビオラたち。ガーデンセンターの苗と比べると小振りだが、八月に種を蒔いてポットに移植し、来る日も来る日も面倒を見てきた自家製苗だけに愛しさひとしお。

 なんだ、パンジーか、と馬鹿にするなかれ。「スミレ色」以外に、あらゆる色が作出されるようになり、ブラックはもちろん虹色のパンジーだって手に入るこの頃。おまけに冬から夏まで最大9ヶ月も咲きつづけてくれるいい子。だから「パンジーなんて陳腐!」と言われても忙しい園芸愛好家には重宝な花の一つなのだ。
 冬は私のようなガーデニング狂にとって春から夏の庭をああもしたい、こうもできるかしら、と夢想する貴重な農閑期でもある。コタツの周りに園芸カタログと花の種袋をところせましと積み重ね、カタログをめくっては溜息をついたり、注文書に書いたり消したり、いやはや忙しい。
 花と出会ってから私の心の中に「ゆるぎない幸福」といえるようなものが芽生えたらしい。それは誰かにしてもらったり、与えられたりするものではなく、遠くまで探しに行くものでもない。もちろん人と比べて競い合うものでもない。その幸福がいつも身近にあることを折々に気づかされる。
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